「泳げない者は沈めばいい」 ユニクロ柳井正と古参幹部の別れ

「泳げない者は沈めばいい」

 「岩村君。俺はもう辞めようと思うちょるんや」

 ちょうど柳井が信頼するクリエイターのジョン・ジェイが「新しいユニクロ」を伝えるCMの作成に取り組んでいるただ中の1999年8月のことだ。ユニクロにとって最古参となる浦利治が、やはり古くから柳井を支えてきた岩村清美にこう打ち明けた。

 浦は柳井がまだ小学生だった頃から住み込みでメンズショップ小郡商事で働き始め、柳井が店を継ぐようになると、たった2人で出発した。柳井にとっては社員というより兄弟のような存在で、全幅の信頼を置いてきた人物だ。その浦のことを「一番尊敬する人」と言うのが、やはり銀天街の紳士服店に飛び込み浦のしぐさを盗むようにして仕事を覚えてきた岩村だった。

 尊敬する先輩からの唐突な告白だったが、岩村は意外に思うことはなかったという。岩村も時を同じくして浦と同じ考えに至っていたからだ。引き際を考えたきっかけは毎週、柳井が社員に配る業務連絡の紙だった。そこに記されていた言葉に、思わず見入った。

 「泳げない者は沈めばいい」

 貪欲に成長を求め続けていたこの時期に、柳井が好んで使っていた言葉だった。実は柳井のオリジナルではなく、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツがよく口にすることだと本を通じて知っていた。

 ゲイツはインターネットという破壊的なイノベーションを社会に起きる「津波」だと言い、そこで生き残るにはどうすればいいのかを説いた。それが「Sink or Swim」。溺れたくなければ泳げという意味だが、慣用句的に「いちかばちか」や「のるかそるか」と訳されることが多い。

 ユニクロもまた大変革期を迎え、服の民主主義という概念を世に問う新しい企業に生まれ変わろうとしている。その波を泳ぎきるために社員も成長してほしいという意味を込めたメッセージだった。

受け入れられない新参者

 ただ、岩村はその言葉から目を背けられなかった。私はその言葉を目にした時の心境を、ストレートに聞いた。岩村からはこう返ってきた。

 「それを読んで思いました。『自分はもう戦力じゃないんだ。いらないんだ』と。自分はもう沈まないといけん。死なないといけん。溺れかけている人間なんだと、そう思ったんです」

 会社を、柳井を、ユニクロを、ここまで支え続けてきた男の悲痛な思いが詰まった言葉だった。

 「そう思っていた時に浦さんから辞めると聞かされた。それで、俺も辞めんといけんなと思いました」

 浦にとっては意外だったようだ。

 「いやいや、ガンちゃんは残らないけんよ。まだまだやることがあるから」

 岩村はこの当時、47歳だ。まだまだ働き盛りのまっただ中である。だが、浦が退職を思いとどまるように諭しても、岩村は首を縦に振らない。

 岩村には思うところがあった。伊藤忠商事から転じてきた澤田貴司たち新しい人材が自分たちにはない才能を持っていることは認める。だが、どうにも受け入れられない。

 彼ら新参者たちは柳井を囲む会議で足を組みながら話す。柳井のことは「社長」ではなく「柳井さん」と呼ぶ。それは間違いじゃないと思う。柳井もそんなことは気にかけず、何も言わない。柳井が形式ばったことより実力を問う考えの持ち主であることは重々承知している。どの面々も自分よりずっと優秀で荒波を泳ぎ切る才覚を持った「回遊魚」である。ただ、頭では理解できても、やはり受け入れられない。

商売はできても、経営はできない

 一方の浦はなぜ辞任を申し出たのか。これも本人に聞いた。

 「やっぱり会社を変えていかないといけないと思ったんです。一番変えないといけないのは人だと思いました。人を変えないとこれ以上成長はできないと。それなら自分はもうお役御免です。正直に言えば、ついていけなくなると思いました。それは自分が一番よく分かっていましたから」

 浦は岩村を連れて柳井の社長室に行き、辞意を伝えた。

 「もう自分たちはついていけないと思います。商売は分かりますが、経営はできないので」

 すると、柳井はきっぱりと告げた。

 「僕もそう思います」

 なんとも冷酷な物言いではないか――。浦も岩村も、あの銀天街の零細紳士服店からついてきてくれた忠臣中の忠臣だ。その時間が長いだけでなく、濃密な付き合いだ。

 銀天街から抜け出そうともがき続けた暗黒の10年をともにし、香港で見つけた「ユニクロ」のヒントを形にするため走り始めた柳井に黙ってついてきてくれたのが、この2人だった。小郡商事がファーストリテイリングになってからも、浦は管理業務を取り仕切り、岩村はバイヤーや営業部長としてユニクロを支えてきた。

 その2人のことだ。考え抜いた上で進退を申し出たことは、柳井にもすぐに分かった。
 だからこそ、偽りなく思ったことをストレートに伝える。こういう点も実に柳井らしい。

 ただ、いかんせん生来の口下手である。言葉では伝えられないこともあった。2人の退任が決まった9月のある日のことだ。

紳士服店「メンズショップ小郡商事」の店内。浦も岩村も、この頃から柳井を支える「忠臣」だった(ファーストリテイリング提供)

伝えたかった言葉

 その日、人里離れた場所にあるファーストリテイリング本社の広大な中庭では、タレントを呼んでちょっとしたファッションショーのように社員たちに向けて新商品を披露する会が催されていた。その壇上に、柳井は2人を招いた。居並ぶ社員たちの前で手作りの感謝状を手渡したのだ。

 「浦さん。あなたの優しさ、気配りのおかげで解決できた会社の危機、社員の不安、不満が多くありました。この40年間、本当に会社に献身的に尽くされ、特にお客様への奉仕の精神。お客様からの信頼は社員一同の模範とするところでした」

 柳井が感謝状を読み上げると、裏山から花火が盛大に打ち上げられる。続いて岩村にも、社長室では伝えられなかった思いを伝えた。

 「20余年前、あなたが入社された時の記憶が今でも鮮明に目に浮かびます。苦しかったこと、つらかったことの方が多く、楽しかったことが少なかったかもしれませんが、あなたの我が社のパートナーとしての努力のおかげで、日本一のカジュアル専門店に成長することができました」

 確かに、2人の老兵は新しいユニクロの中で「泳げない者」になってしまったのかもしれない。だが、沈めばいいなんて思ったことはない。2人がいなければ今のユニクロはない。この日、感謝状の文言に込めて柳井が伝えたかったのは、そういうことだったのだろう。

 こうして商店街から柳井を支え続けてきた忠臣たちは去った。世界一というゴールに向かって走り始めた柳井とユニクロにとって、この別れもまた、避けては通れない道だった。

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